タイの王朝遺跡:古都アユタヤの歴史と世界遺産登録の理由
この記事では、
アユタヤの歴史と世界遺産登録の理由について書きました。
遺跡巡りは、歴史を知ると楽しくなります。
この記事の目次
タイの世界遺産:古都アユタヤの歴史と登録の理由
古都アユタヤの歴史
首都バンコクから北へ約80㎞、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲の町アユタヤは、1351年から約400年にわたってアユタヤ王朝の都として君臨し、アユタヤとはヒンディー語で「難攻不落」を意味します。
「黄金の都」と称されるアユタヤはウートーン王により建都され、インドシナ半島最大の都市として栄華を極めます。
17世紀には外交関係を結んだヨーロッパ諸国から「ロンドンのように見事」と褒め称えられ、国際都市としてさらに発展していきます。
その一方で、王位継承の争いや隣国ビルマ(現在のミャンマー)との戦いが絶えなかったアユタヤは1767年、度重なるビルマ軍の侵攻を受けて陥落し、アユタヤ王朝はその長い歴史に幕を下ろしました。
ビルマ軍によって徹底的に破壊された仏像や建造物、戦火にさらされた寺院や宮殿が当時の争いの激しさを物語り、アユタヤ王朝の繁栄と失墜の歴史を今に伝えています。
世界遺産登録の理由と年度
当時のアユタヤ王朝遺跡群と、のちに修復された遺跡が数多く残る地域一帯は、1976年に「アユタヤ歴史公園」に指定され、1991年に「古都アユタヤ」として世界遺産に登録されました。
ユネスコは登録の理由について「現存する、あるいはすでに消滅した文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること」と語っています。
アユタヤの地図とガイドブック(日本語)
こちらのリンクにアユタヤの地図、見どころや移動手段、イベントやアクティビティ、グルメやホテル、緊急時の連絡先などの情報が載っています。
これは、タイ国政府観光庁が発行したPDFファイルです。
アユタヤ:ガイドブック
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