ポルトガルの世界遺産:バターリャの修道院 観光・旅行情報まとめ
この記事の目次
世界遺産の歴史と登録の概要
ポルトガルの首都リスボンの約120km北に位置し、ポルトガル語で“戦い”の意味をもつバターリャ。
ブルゴーニュ朝のフェルナンド1世が亡くなると、隣国のカスティーリャの王フアン1世は王位継承を目論み、1385年8月14日にバターリャ近郊のアルジュバロータに3万もの大軍を従え攻め込んできた。
ポルトガルの独立を守るためにアヴィス朝の始祖となったジョアン1世は、聖母マリアに戦勝を祈願して戦いに挑み、数では圧倒的に劣る軍を率いて奇跡的な勝利を収めた。
戦いの3年後の1388年、聖母マリアにこの勝利と感謝を捧げるため、バターリャ修道院の建設がジョアン1世によって着工され、長い歳月を経て16世紀前半に一応の完成を見せる。
バターリャ修道院の正式名称は“勝利の聖母マリア修道院”といい、ポルトガルの独立を守る戦いの歴史を今に伝えるこの修道院は、1983年に世界遺産に登録された。
バターリャの町について
各地からのバスは、町の中心部から500mほど東のバス停に到着し、ここから西に行くと大きな広場の向こうにバターリャ修道院が見えてくる。
広場の一角には観光案内所があり、周辺にはレストランやホテル、おみやげ屋などがある。
また、バターリャは小さな町で、修道院以外には特に見どころはない。
バターリャ修道院について
ポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建造物であるバターリャ修道院は、現在のスペインにあたるカスティーリャとの戦いの勝利を聖母マリアに捧げるために造られた。
2世紀にわたる建築期間を経て造られたバターリャ修道院は、ポルトガルの独立と勝利を象徴する存在。
バターリャ修道院の入口は建物の西側にあり、ここから入るとすぐにチケット売り場がある。
開館は4〜9月は9:00〜18:30、10〜3月は9:00〜18:00、入場料は€6、毎月第1日曜は入場無料。
公式サイトはこちら。
Mosteiro da Batalha
バターリャ修道院の見どころ
創設者の礼拝堂 Capela do Fundador
入口のすぐ右側にあり、ジョアン1世とその家族の棺が安置されている墓所で、15世紀に造られたこの礼拝堂内の柱やアーチには、ゴシック様式の美しい装飾が施されている。
中央にはジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの棺が、周囲にはエンリケ航海王子などの棺が安置されている。
天井部分は1755年の地震で崩壊し、その後再建された。
教会 Igreja
入口の正面にあり、高さ約32m、奥行き約80mというポルトガルで最大級の規模を誇る教会。
内部はシンプルな造りだが、内陣の奥には16世紀に造られたステンドグラスがあり、キリストと聖母マリアの生涯が描かれている。
巨大な空間にステンドグラスから射し込む光が、厳粛な雰囲気を漂わせている。
ジョアン1世の回廊 Claustro de D.Joao I
入口のすぐ左側にあり、1515年に完成した簡素な回廊だったが、リスボンのジェロニモス修道院を手がけた建築家によって、約100年後にマヌエル様式の繊細な装飾が施され現在の姿になった。
エンリケ航海王子の十字架の紋章や天球儀が彫り込まれた狭間飾りが見事で、一角には噴水もある。
博物館 Museu
ジョアン1世の回廊の西側にあり、かつて食堂だった場所に戦士の武器などが展示されている。
北側の台所はお店として使用され、絵はがきなどが販売されている。
参事会室 Sala do Capitulo
ジョアン1世の回廊の東側にあり、交差リブヴォールトによって支えられた1本の柱もない大きな部屋。
この部屋には第1次世界大戦とアフリカ植民地争いで命を落とした戦士の墓が安置されており、墓は現在も兵士によって守られている。
また、部屋の奥にある16世紀に造られたステンドグラスには、キリストの苦難の場面が描かれている。
アフォンソ5世の回廊 Claustro de D.Afonso V
ジョアン1世の回廊の北側にあり、15世紀に造られたゴシック様式のシンプルな回廊。
天井にはドゥアルテ1世とアフォンソ5世の紋章が刻まれ、中庭には糸杉が植えられている。
この回廊から外に出て南に進むと、未完の礼拝堂の入口に行くことができる。
未完の礼拝堂 Capelas Imperfeitas
ジョアン1世の息子であるドゥアルテ1世によって建設が始まり、その後はマヌエル1世に引き継がれて約100年間工事が行われたが、ついに完成することはなく工事は終了した。
その理由は、ジェロニモス修道院の建設のために建築家がリスボンに行ってしまったという説と、設計上のミスという説があるが、確かなことは現在もわかっていない。
未完ながらもマヌエル、ゴシック、ルネサンスなど様々な建築様式の装飾が施されている。
バターリャの天気・気候
年間を通じて温暖な気候のポルトガルは、日本の4分の1ほどの小さな国で、地域による大きな気候の違いはないが、南北に長い国のため地域によって若干気温差がある。
日本のように四季があり、夏は晴天に恵まれる乾季、秋から春にかけては雨が多く、不安定な天気が続く雨季となるが、日本の梅雨のように1日中雨が降り続くことはあまりない。
春(3〜5月)
気温は東京の春とさほど変わらず、3〜5月にかけて日増しに暖かくなっていき、5月に入ると日中は20℃を超える日が多くなり、季節は夏へと移り変わっていく。
日中は暖かくても朝晩は10℃前後まで気温が下がるので、薄手の上着があるといいでしょう。
3・4月は比較的雨が多く、1ヶ月に80㎜前後の雨が降るが、日本の梅雨のようにジメジメとはしない。
夏(6〜8月)
夏の平均最高気温は28℃前後で東京の夏より低く、朝晩は17℃前後まで気温が下がるので、暑くて寝苦しさを感じるようなことはあまりないでしょう。
乾季でカラッとした晴天に恵まれ、湿度が低いので日陰に入れば昼間でも涼しく感じるほど。
特に7・8月は全くと言っていいほど雨が降らず快適で、多くの旅行者で混雑するとはいえ、この時期がポルトガル観光のベストシーズンといえる。
秋(9〜11月)
気温は東京の秋とさほど変わらず、9月はまだ夏の暖かさを感じられるが、11月に入ると日中でも20℃を超える日は少なくなり、朝晩は10℃前後まで冷え込み、季節は冬へと移り変わっていく。
また、乾季から雨季への変わり目でもあり、10・11月は1ヶ月に100㎜前後の雨が降る。
晴れている時は過ごしやすいが、1日の中で急に雨が降ったりすぐに止んだりするので注意が必要。
冬(12〜2月)
東京の冬よりはるかに暖かく、平均最高気温は16℃前後、最低気温は9℃前後で、雪が降ることはほとんどない。
しかし、雨季の真っ只中なので雨は多く、毎月100㎜を超える雨が降るので傘などの雨具があると便利。
リスボンの天候グラフ
リスボンはバターリャ約120㎞南の都市。
バターリャのグラフが無いので参考までに。
アクセス:日本からの行き方
現在、日本からポルトガルへの直行便はなく、ヨーロッパの主要都市で乗り継いでポルトガルのリスボン空港に向かうのが一般的。
所要は乗り継ぎ込みで17〜20時間ほどで、日本を昼頃に出れば現地時間で同日の夜に着く。
空港からリスボン市内への移動について
空港からリスボン市内まで約7㎞あり、移動手段は空港バス、地下鉄、タクシーなどがあるが、旅行者が最も利用しやすいのはYellow Bus社が運行する空港バス。
空港バスはAerobusと呼ばれ、空港ターミナル1の到着ロビーの正面が乗り場になっている。
料金は€3.50で、チケットは乗車時に運転手から買うか、到着ロビーの観光案内所で買う。
バス会社公式サイトはこちら。
Yellow Bus
市内へのルートは2つあり、Linha1(City Center)はエントレカンボス、ポンバル公爵広場、ロシオ、コメルシオ広場などを経由しカイス・ド・ソドレ駅へ、Linha2(Financial Center)はエントレカンボス、セッテ・リオス、エスパーニャ広場などを経由しジョゼ・マリア通りへ行く。
Linha2のセッテ・リオスバスターミナルからバターリャ行きのバスが毎日3〜5便でており、バターリャまで所要2時間ほど。
通貨と言語とビザについて
通貨はユーロ(Euro)で表記は€、補助通貨はセント(Centimo)で表記は¢。
公用語はポルトガル語だが、観光地にある旅行者向けのホテルやレストランでは英語が通じる所も多い。
シェンゲン協定加盟国であるポルトガルへの入国は、90日以内の滞在であればビザは不要。
パスポートは残存有効期間がポルトガル出国予定日から3ヶ月以上と査証欄の余白が2ページ以上必要。
シェンゲン協定に関しての詳細はこちら
シェンゲン協定加盟国への入国方法
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