【王朝・仏歯寺】聖地キャンディの歴史と世界遺産登録の理由
この記事では、
キャンディの歴史と世界遺産登録の理由についてまとめました。
歴史を知れば、遺跡巡りが楽しくなります。
この記事の目次
スリランカの世界遺産:キャンディの歴史と登録の理由
スリランカ中央部には、「カルチュラル・トライアングル(文化三角地帯)」とよばれる地域があります。
カルチュラル・トライアングルとは?
カルチュラル・トライアングルとは、アヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディという三都市を線で結んだ三角形の内側の地域のことで、歴史的遺跡群が多く残る地として知られています。
この地域に残る遺跡は、古代より続いた歴代の仏教王朝が造り上げてきたもので、これらの遺跡のほとんどは、現在も信仰の対象としてスリランカの人々の心に安らぎを与えています。
そんな文化三角地帯の南の一角を成す町が、シンハラ王朝最後の都として繁栄したキャンディです。
キャンディとは?
紀元前、アヌラーダプラに最初の都をおいたシンハラ王朝は、南インドからの侵略に追われ、遷都を繰り返しながら徐々に南下し、15世紀にキャンディに都を移しました。
キャンディは周囲を山々に囲まれた盆地だが、その自然の要塞が外部からの侵略を防ぐ役割を果たすと、争いはなくなり一旦は落ち着きました。
しかしそれも長くは続かず、その後は再び外部からの敵との争いを余儀なくされます。
植民地支配を始めたポルトガルに対し、シンハラ王朝はオランダと手を組み追放するが、その後はオランダと対立し、今度はイギリスと手を組みオランダを追放するが、後にこのイギリスとも対立してしまいます。
時は1815年、300年以上続いた都キャンディがイギリスに滅ぼされると、2000年以上続いたシンハラ王朝の歴史に終止符が打たれました。
しかし、仏教の信仰は現在も受け継がれ、その中心地であり「スリランカで最もスリランカらしい町」といわれるキャンディは、その町全体が「聖地キャンディ」として1988年に世界遺産に登録されました。
世界遺産登録の理由は?
ユネスコは世界遺産登録の理由について、
人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体または景観に関する優れた見本であること。
顕著で普遍的な価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または明白な関連があること(ただし、この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
と語っています。