スリランカの遺跡:古代都市ポロンナルワの歴史と世界遺産登録の理由
この記事では、
ポロンナルワの歴史と世界遺産登録の理由についてまとめました。
歴史を知れば、遺跡巡りが楽しくなります。
この記事の目次
スリランカの世界遺産:ポロンナルワの歴史と登録の理由
スリランカ中央部には、「カルチュラル・トライアングル(文化三角地帯)」とよばれる地域があります。
カルチュラル・トライアングルとは?
カルチュラル・トライアングルとは、アヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディという三都市を線で結んだ三角形の内側の地域のことで、歴史的遺跡群が多く残る地として知られています。
この地域に残る遺跡は、古代より続いた歴代の仏教王朝が造り上げてきたもので、これらの遺跡のほとんどは、現在も信仰の対象としてスリランカの人々の心に安らぎを与えています。
そんな文化三角地帯の東の一角をなす町が、かつて仏教都市として栄華を極めたポロンナルワです。
ポロンナルワとは?
南インドのチョーラ王朝の侵略によって、首都アヌラーダプラを追われたシンハラ王朝は、11世紀前半にやむなく首都をポロンナルワに移します。
当時のシンハラの王であるウィジャヤバーフ1世は、ポロンナルワで新たな首都の建設に努め、同時に仏教の普及にも力を注ぐと、1070年にはチョーラ王朝を追放しました。
その後、ウィジャヤバーフ1世の孫であるパラークラマ・バーフ1世が12世紀に王位を継ぐと、ポロンナルワはさらに発達し、各地から仏教僧が訪れる仏教都市として繁栄します。
しかし、13世紀に再び南インドの侵略を受けると、シンハラ王朝は徐々に後退し、ポロンナルワは廃都となって放棄され、ジャングルの中に埋もれて忘れ去られてしまいます。
再び日の目を見るのは、19〜20世紀に遺跡の発掘が始まってからのことです。
シンハラ王朝の遺跡が残るかつての首都は、1982年に「古代都市ポロンナルワ」として世界遺産に登録されました。
世界遺産登録の理由は?
ユネスコは世界遺産登録の理由について、
人類の創造的才能を表す傑作である。
現存する、あるいはすでに消滅した文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること。
顕著で普遍的な価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または明白な関連があること(ただし、この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
と語っています。